浅井屋の歴史

浅井屋の歴史History

1933年(昭和8年)浅井屋創業
1971年(昭和46年)浅井屋西店オープン
1974年(昭和49年) 8月22日株式会社浅井屋本店設立
1979年(昭和54年)滋賀県彦根市に仏壇卸センター(自社工場)設立
1981年(昭和56年) 1月2日浅井屋本店自社ビルオープン
1988年(昭和63年) 4月8日浅井猛司 代表取締役社長就任
2004年(平成16年) 仏壇卸センター売却
2022年(令和4年) 10月15日浅井貴裕 代表取締役社長就任
History
浅井屋の原点

初代・浅井元三郎(以下初代)は、戦前、親戚が営む名古屋の仏壇屋へ奉公した。

戦争に駆り出された後は、仏壇の技術を生かして、主に洗濯を中心に仏壇業をはじめた。

当初は店舗を持たずに、泊り込みの洗濯など、できることを必死にやっていたが、貧乏で厳しい時期が続いた。

初代は職人気質で、頭を下げるのが苦手な厳しい人だった。また初代妻・千代子が、打敷*が入った重たい荷物を大きな風呂敷に包んで背負い、歩いて2時間くらいかかる多度まで、行商に行っていた。信頼関係を築き、打敷の販売に繋げていた。

*打敷(うちしき):仏壇に飾る荘厳具の一種。金欄で織られたきらびやかな布で、仏壇に置かれる卓の天板の下に挟んで使用する

STEP
商売の道へ

二代目・浅井猛司(以下二代目)は18歳で高校を卒業し、仏壇の道に入った。
卒業して半年ほど名古屋の仏壇屋に奉公し、戻ってきて、初代と一緒に仏壇の洗濯をした。

商売を大きくするため、仏壇の洗濯だけでなく、仏壇の販売を宮通の自宅兼作業場で始めた。

5年ほど経ってから、同じ宮通に土地のご縁があり、そこに陳列場を作り、仏壇の仕入れを少しずつ増やして、お客様の家に外交に行くだけでなく、お店での小売も徐々に拡大していった。

さらに5年後の1971年(昭和46年)に、宮通からほど近い吉津屋町に西店をオープンした。
約200メートル続くまっすぐな通りに、当時、呉服屋、布団屋、洋服屋、畳屋、眼鏡・時計屋、靴屋、石屋、仏壇屋、化粧品店、床屋、タバコ屋、豆腐屋、喫茶店、写真館や税理士事務所が立ち並ぶ活気のある商店街だった。

お祝いの花に囲まれ、『仏壇のデパート完成!開店謝恩大売出し』を皮切りに、展示会をしては販売規模を大きくしていった。
折しも日本国内は高度経済成長期にあたり、世の中が熱気に包まれていて、時代も後押ししてくれた。

3年後の1974年(昭和49年)資本金3,000万円にて浅井屋本店を株式会社化した。

STEP
東海随一の仏壇屋へ

業績を伸ばすために、仏壇を他から仕入れるのではなく、自社工場での仏壇製造を検討し始める。

自社工場で作れば、材料も製造工程もしっかりと自分の目で見てわかるので、商品に対する信頼性があがり、仕入れに対する余分な金がかからないので、いいものを値打ちに、自信を持って売ることができる。

江戸中期から350年仏壇の歴史が続き、高度な技術を持った仏壇職人が数多くいる彦根に土地を探した。1979年(昭和54年)、浅井屋本店が100パーセント出資し、滋賀県彦根市に「仏壇卸センター」を設立した。

西店以外にも、各地に出向いてお寺や公民館等で展示会もやった。

宗派と地域によって仏壇の種類が違うので、販売地域を拡大すると、扱う仏壇の種類も増えた。鈴鹿、弥富、四日市、一宮、豊橋など、遠いところは店舗から30キロ以上も離れていた。

自社工場のおかげでお客様からの信頼度や納得度もあがり、売上はぐんぐん伸び、全国の仏壇店とつながることができた。

展示会 豊橋円竜寺にて
展示会 娘を肩車して
自社ビルオープン

1981年(昭和56年)1月2日、西店の通りを挟んだ向かい側に、浅井屋本店の5階建て自社ビルをオープンした。

鉄骨鉄筋5階建て、当時は珍しかったエスカレーターと5階までエレベーターを完備し、床も柱もすべて大理石を使った。

『東海随一』の仏壇屋になるという目標を持って這いつくばってやってきた、二代目の人生をかけた全ての象徴が自社ビルだった。

名実ともに東海随一になるように、浄土真宗、浄土宗、曹洞宗、禅宗、臨済宗など10宗派全ての仏壇を揃えた。

二尺、百五十代、二百代など色々なサイズの仏間も用意して、都会向きから田舎向きまで全てを網羅した。

自社ビルの1階から3階まで仏壇をずらりと並べて、どんなお客さんが来ても満足してもらえるような品揃えにした。

『仏壇大展示会』『お盆特別仏壇大展示会』『お正月セール大展示会』など、時期にあわせてとにかく展示会を行い、年間30~50回近く新聞広告にチラシを打った。テレビとラジオのCMも並行した。

STEP
信頼をつなげていく
二代目80歳(傘寿)のお祝い 2021年3月6日

三代目・浅井貴裕(以下三代目)が2013年に入社する。

二代目は仕事が細かく、ひとつひとつの丁寧な作業を徹底した。もともと職人あがりなので、全ての工程がわかっていた。

職人であり商売人である二代目の仕事を間近で見ながら、仏壇の作り方・洗濯のやり方から仏壇の売り方・お客様への対応まで全て背中で教えてくれた。

2022年10月15日に三代目が株式会社浅井屋本店代表取締役になる。

近年著しく仏壇業界が縮小してきている中で、二代目の教えの元、お客様第一で丁寧な仕事をし、より発展していく。

伝統を守りつつ、新しい時代に合わせた仏壇・祈りの在り方をお客様にご提案し、今後も皆様から愛される企業であり続けたい。